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16 買い物カートに思う

LA SEDICESIMA PUNTATA  "LA NOSTRA CONSIDERAZIONE SUI CARRELLI"

第16話 買い物カートに思う

ヴェネツィア に住む友人Fがホームページを作っている。
その中に、親戚や友人に近況を書き送る手紙という形で始めた
エッセイ・コーナーがあるのだが、これがとてもおもしろい。
彼女が、イタリア人やその文化と触れ合うことで感じる驚きや
感動、疑問などを、その性格を表すかごとくの
滑らかな美しい文体で綴っている。

わたしが彼女の文章をおもしろいと思う理由は特にあって、
それは、彼女が書くこと、つまりイタリアで体験して感じることが
往々にしてわたしのそれと重なる、というところである。
他人の文章を読んで、「あっ、そうそう」と同調することは少なくはないのだが、
ここまで頻繁に感想が一致するというのは珍しい。
「同じイタリアという国に住んでいる」という説明だけでは済まない、と
わたしはこの友人の感覚に驚き、心強くも思っているのであるが…。

過日彼女は、
老若男女を問わずイタリア人がスーパーに持ってくる
買い物カートについて述べていた。
老若男女を問わず、とは言っても
街なかで見かけるのはやはり中高年の女性が多いのだが、
その普及率は日本よりはるかに高い。
ちなみにこれは日本の交通手段に
自転車が占める割合が多いということに関係している。
徒歩やバスで移動することの多いローマや、
徒歩かヴァポレット(水上バス)のみのヴェネツィアでは、
買い物の時や重い物を運ぶ時にはどうしてもカートが必要となってくるのである。

友人Fはこう述べる、
「それにしても、どうしてこういうものは、ちっとも おしゃれにならないのでしょう?
イタリアンデザインに期待する のと、
また対極にあるイタリアのあきらめ堂々 スタイル、みたいな感じです。
お上品な老婦人、きれいな若いママ、あるいはおしゃれな紳士でも、
皆ショッピングカートは見事に似たり寄ったり 、です。
こういうのは、日本なら、ちょっと気のきいた デザインのものができれば、
あっと言う間に普及するのではないかと思うのですが…」。

彼女はヴェネツィアで買い物カートを見て こう感じたのであるが、
わたしは偶然にもこれを読む以前に、
ローマでCDホルダーを買おうとして 全く同じことを思った。
布やビニールでできていて、
CDをプラスチック・ケースなしで10枚くらい収納し、持ち運びできる、
あのホルダーを買おうとして、である。
日本からスヌーピー柄のものを1つ持ってきてはいたのだが、足りなくなったので
Via del Corsoという繁華街にある
大きな(イタリアにしては…)CDショップに求めに行ってみた。
しかし売っているのはすべて無地で、
しかも色は黒か深緑か濃青、もしくはどぎついオレンジの、
味も色気もない ものだったのである。
それに値段がバカ高い

買い物カートにもCDホルダーにも共通するのは、
デザインがどれをとっても画一的 で、あまりにもダサい ということである。
パッとしない無地、暑苦しいペイズリー柄、重い感じのタータンチェック、
どこかのブランドをパクった世界地図模様…。
デザインの国イタリアならばもう少し考えて、
素敵な柄のシリーズでも出せばもっと売れるのだろうに、と思うのだ。

しかし…。

きっとイタリア人は現状に満足するタイプなのだろう。
今のところは、ある程度の需要があるからこれでいいのだ。
もし違う形のものを、
違うデザインのものを出したらもっと売れるかもしれないのに、とまでは
考えないようなのである。はたまた考えが及ばないのか。

イタリアに住む日本人の友人のほとんどが(もはや全員といってもよい)
既に気付いていることであるが、
洋服も文房具も日用品も、あらゆる物において、
日本で売っている物の方がかわいいし、
特徴はあるし、種類は豊富だし、使いやすくて、しかも安い。

しかし、これは遠い国日本のことなのである。

イタリアはきっと現状のままでいいのだ。
日本のように何でもある国はきっと異常なのだ。
イタリアで何でも手に入ってしまったら、
その時点でイタリアはイタリアではなくなってしまう。
日本と何ら変わらなくなってしまう。
ある意味不便なイタリアの魅力がなくなってしまう。
イタリアの経済・商業に変化をきたすのは御免だと確かに思う。

以前、家庭用品店で働いていて知ったことなのであるが、
現に、「ヴェネツィアン・グラス」と銘打って
中国で作られたガラス製品 が堂々と売られているそうだ。
既に経済・商業に変化は出てきている。
ヴェネツィアの職人が作る
真のヴェネツィアン・グラス の売り上げが減っているのがその証拠だ。

職場で日本人のお客さんに、
あるイタリアの鞄ブランドの店の所在地を聞かれたことがある。
グッチやプラダ ならともかく、
そのブランドの名前はちっとも聞いたことがなくて、
同僚たちや果てはうちのオーナー夫人にまで聞いたのだが、
さっぱり分からなかった。
電話帳にも載っていなかった。
聞けば、日本では最近話題になっている イタリアン・ブランドなのだという。
TVや雑誌で紹介されまくっているのだろう。
「今、イタリアで最高にオシャレなブランド」 とか題されたりして。

イタリア人が知らないイタリアン・ブランド…。

インターネットで検索してみると、
イタリアのサイトから検索をかけたにもかかわらず、
出てきた数十件のホームページのほとんどは
日本語で書かれたものであった。
結局その店はローマにはないと分かったのだが、
日本の「売れるなら何でもやる」精神の強さと際限のなさ、
それに食いつく日本人の購買欲 に恐ろしくなった
(つまり、宣伝効果てきめん、ではある)。
こういう出来事、結構多い。
イタリアはそんな日本人観光客で稼いでいるわけだし、
わたしもその端くれにいるのだから文句は言えないのだが。

友人Fがこれを読んだらどう思うだろう。
読みながら「あっ、そうそう」と言ってくれるような気がしてならない。
そして次回の彼女のエッセイが楽しみでならず、
ついには催促の電話 までしてしまう最近のわたしである。

(2004年6月)

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